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捨てることと帰依すること。

hasunohaに書いてあった

 

お坊さんは、僧侶というアイデンティティ、特権を得るために出家するのではなく

それまでの自分の一切を捨てる、自我とかいったものを取り払って仏門に帰依するのだと。

それを知った時、宗教は特権よりも捨てることなのだなと私は驚きながらなんか納得したのだった。

例の元女優さん今尼(←で合ってる?)さんのこともちょっと思い出しながら。

 

 

まあ私は俗人。

 

でお坊さんであろうと人間だから完全ではない。

ただ、捨てられるものを捨てた人たちということなのかなと思った。(物欲性欲バリバリの人もいるけどね。人によるよな。)

 

 

宗教に限らない、

何かを信じて、別の名前を得る人って

捨てた人なのだと思う。

捨てたって、闇雲に捨てたのではなく

捨てることで自分をラクにし、捨てることで逆に新たなことを見いだした人なのだと思う。

 

 

必ずしも特別な人間になることじゃない。

むしろ、その"特別"という勘違いを捨てたときに、世界がひっくり返るのだと思った。

 

 

捨てることは何も宗教に限らない。なんでもいい。源氏名だってある意味そう。私の好きな「ちひろさん」を思い出す。

だから合う合わないがあるだけで、特定のナニカが必ず自分をラクにしてくれる保証などないのだ。

 

盲目にすがったのではない。

自分に合うナニカを、試行錯誤の末に見つけただけ。

あるいは縁の流れに力を抜いて従った結果、そこに行き着いただけ。

(中にはムリヤリ自我丸出しで行き着いた人もいるだろう。それも縁の流れのうち。)

 

捨てること、捨てることで何かを得ることについて

そう思った。

 

 

 

なんかに入信してんのにラクにならないぞって時は、

「もういいや」という気持ちじゃなくて

「これをやればラクになるはずって思ったのに」って期待と落胆と錯覚と盲目が含まれてる時なんじゃないかなと思った。

 

 

それが悪いんじゃないけど。

 

 

何で自分がラクになるかなんて、他人は知らないよ。

 

自分でやってみて知ることだ。