人生楽しみ中。

楽しかったこと、思ったこと、自由に書いてます。

何かに夢中になる時って

とっても楽しいし手応えあって、「今こそ生きてる」みたいなわかりやすい実感がみなぎるのだ。

 

ただ、自分を置き去りにして"ナニカ"ばかりに夢中になりすぎ、のめり込みすぎると

置き去りにされなおざりにされた自分の精神や体が悲鳴をあげて、引き戻されたりもするのだ。

自分じゃなくてナニカが本体になりそうな時に。

取りつかれたような時に。

自分を見失い、ナニカ無しでは生きられないような錯覚と不安感にとりつかれる時に。

 

そうはさせまいと、自分の体と精神は必死にストップをかけてくれる。

そしてナニカにとりつかれてると、そのことを困ったことと感じてしまう。

ストップがかかったことで、何もかも犠牲にしてでもナニカを追えなくはなるから。

困った困ったと思いつつも体と心を省みて、その悲鳴に気付くことで、和解への道が拓けてくる。

 

 

ナニカ、好きになるものがあるのは自分を豊かにしてくれる。

ただ、ナニカを大切にするのも、ナニカそのものが目的ではなく、本体たる自分が豊かに幸せに生きるためだということを忘れたくないと思う。

 

 

 

 

その悲鳴をくぐり抜けた先、超越した先にあるのが

狂気とか天才とか呼ばれるしろものなのかもしれないね。

ニジンスキーみたいな。

 

そういう、何かに取りつかれてでも何かの能力を発揮する人に憧れることもあった。

 

でも私は凡人だ。

 

現実で幸せ楽しみたいとわかったから、

 

ナニカより自分を大切にする。

 

 

今はそう言ってるけど、この先命を削ってでもナニカに取りつかれることもあるの、かも。わからない。

ただそうなった時も許していようと思うね。