さしみの「猫とオルガンと心と体」日記

体と心を大事にしながら生きるさしみの日記です。

遊ぶことの大切さ

を、学んでいるような気がする。

 

ただ、遊ぶこと……。

ただ、楽しむこと……。

ただ、感じて、終わり。

満喫して、「ふー楽しかったー、」終わり。

悲しかった。終わり。

つらかった。終わり。

気持ちよかった、終わり。

 

 

これが何になるとか、

 

自己成長のためとか、

 

本業のヒントになるとか、

 

そういうんじゃなくて……。

 

ただ、楽しむ。

遊ぶ。

 

よけいなこと、くだらないことでも。

それがわたしにとって楽しいのなら、全力で。

 

 

ただ「これにすがってると楽しいからもっともっと何もかも犠牲にして投資」をするのだと、結果的に自分が傷つくのだとも知った。

 

そこまで行かないで

もっと軽いノリで

遊んで、楽しんで、なんとなく。

イヤなこと全部忘れて、時に忘れられなくても。

 

 

そういうことに気付く、頑固な「まじめさ」をぶちくだき、遊びとテキトーの大切さをこれでもかと言うほど知らしめ、徹底的に思い知らされる。

そのための、七転八倒の約2年間だったのかもなとおもいました。

 

 

それに気付くのに、お笑いってずいぶんわたしお世話になったなーって、思いました。

くだらないとか意味あるのとかかんけーない。笑えるかどうか、今笑えるかどうか、それでいいのだ。

そして今までの自分なら「ならすばらしいお笑いに貢献するために関係の仕事で働こう」とか「芸人目指そう」とか思って力入れたのかもしれない。(それが悪いわけではない。)

でも今思うのは、「芸人さん、ありがとう。作ってくれた人、ありがとう。これを今観てる自分の運と環境と経済力にありがとう。おかげで今こうして笑えて、いろんなことがどうでもいいと思えた。笑ったことでうやむやになった。わたしが観てることで芸人さん含む誰かが利益を得た。わたしも与えて与えられることができた。だからありがとう。」

そういう気持ち。あえて言葉にしてまとめるとすれば。いつも文字で考えてるんじゃないよ。

 

 

 

そう、思いきり怒ったり泣いたり笑ったりし尽くすと、終わった後には何考えてたのか忘れてるんだよね。

体温とか汁とか息とともに、モヤモヤを吐き出してるのだと思った。

 

 

だから吐き出すことに躍起になりすぎると疲れるのでそれはそれでね。

 

 

遊びもテキトーに、

 

人生もテキトーに、

 

 

てきとーな人間をバカにしてるよりお前もてきとーしてみろよ。

そういうのかも。