さしみの「猫とオルガンと心と体」日記

体と心を大事にしながら生きるさしみの日記です。

ふと思い出す。mugenの歌詞のスピリチュアル的考察

不意に頭の中をよぎる昔親しんだ曲ってありますよね。

 

最近ふとよぎったのは、ポルノグラフィティのmugen。

中学生ぐらいの時に流行ったのかな。

 

この歌詞(サビの部分さんざん空耳でネタにしたなあ)

当時はそんなに考えなかったけど、

 

自己啓発周りを死ぬほどグルグル回り終えた今、あらためて歌詞を読んだら、なんかすごい腑に落ちるものがあった。

 

一部引用します(一瞬いんもうって空打ちしちゃったん)

 

"僕が暗闇を恐れてるのはいつかそのまま溶けてゆきそうだから"

これわかる。暗い物語とか誰かの暗い話とか(あるいは自分の暗い思考とか)に入ってると、そのままズブズブと飲まれていく時がある。

飲まれすぎると這い上がってこれそうにない時もある。

何もかもダメだって勝手に思い込むこと、ある。

 

"ほんの小さな灯りでもいいさ 僕は輪郭を取り戻す"

そういう時に人生を投げきらないのは、やっぱり何らかの灯り(要するに希望)があると知ってるから。

他人と自分の境目を思い出して、暗い側面だけに溺れきらずに済むんですよね。

 

"幻想とじゃれ合って時に傷つくのを あなたは無駄だと笑いますか?"

ここんとこの(私の思う)スピリチュアル業界の定説は、

私たちはこの世に遊びに来た。この世のすべてはゲームである。だから傷付いても何か失くしても、私たちの本質は何も傷ついてなどいないのである。だから恐れずに遊びなさい。ってことのようである。

それを知ると、じゃあ全部幻想なのになんであれこれやる必要があるの?ってすごく無駄に感じたり、

人によっては現実でもがく他人を見下したりすることがあるよね。

夢幻って知ったヤツが目覚めた人、そうでない人は溺れてる人、みたいな。

そんなん人の上に立つためにあるんじゃなく、自分の心をただ幸せにするためにあるモノの考え方なだけなんだけどね。

 

 "元よりこの世こそが 夢幻だとしたら 空駆ける虹を行こう"

だからこの世の全てがゲームなんだと知ったら、どうせゲームの中にいるのなら、自分の思い描く幸せ="空駆ける虹"へ、素直に進もう。

っていう考えに至り、人生の楽しみ(それはたまにやってくる苦しみとか悲しみとかそういうのも全て飲み込んでいる楽しみなのだ)を謳歌している人がいる。

その代表例が今スピリチュアル業界でスターになってる人達なんだと思います。

 

ちょっと疲れたので以降こま切れになりますが、2番でも

 

 

"今日の次にある明日を求める"

(※まず今日、今を満喫してたら勝手に未来も楽しく拓けてくる。これも定説です)

 

とか

 

"現実がじゃれてきて いたずらにため息 小さな灯りを吹き消そうと"

この世が夢幻と思ってても唐突に思いもよらない現実がやってきて(それを"じゃれる"と表現するのが匠だなぁ~~~~~~ホントに)

小さな灯り=希望も消えそうになるんだけど。

 

"僕は駆け出していた 惜しみなく輝く 太陽の光の元へ"

現実で何が起きても、うっかり希望を消しちゃいそうになっても、まぶしく光る憧れの指し示す方向に駆け出していくんです。

それは好きなことだったり、大切な誰かだったり、憧れの人だったり、理想だったり夢だったり。人によっていろいろありますよね。

 

自分の手元に小さな灯り=希望があるとしたら、

"太陽"ってのはつまり、最大級の誰もに惜しみ無く降り注ぐ灯り=希望、ってことだからね。

 

とか……

 

じんわり噛み締まる言葉があるなーと。

 

 

 

 

って。これは、自己啓発を右往左往した今の私が思ったことだけど。

 

今ほどにスピリチュアル本が一般化されてないような時代において、既にこういう感性でこういう詞を書いて音楽にして発表していたポルノグラフィティってすごいな。

そんで、歌詞の深い意味もわかんないのに何年も後になってもまだ頭に残ってる歌とメロディと演奏。すごいなー、ってあらためて思いました。

 

 

 

 

今回初めて引用機能を駆使してみたが、見やすくなったろうか?(ドヤドヤ)

 

以上私の勝手な観点(かんてん)(寒天)でお送りしました。ではでは!

 

歌詞はぜひ全文しっかり読んで曲聴いてみてください。