さしみの「猫とオルガンと心と体」日記

体と心を大事にしながら生きるさしみの日記です。

天秤

おはよ。

 

バナおぎやドリーの「もろもろのハナシ」で

設楽さんが「自分の中に3人いる」という話をしていた。

破壊の自分と、まあまあまあって止める自分と、その両方を俯瞰する自分。

 

「3人いる」って言った時、客席が「えー…………(引」って声を上げてたけど、誰でも

隠してたり自覚してなかったりするだけで、

自分の中にいつもと違う自分とか影の自分とか持ってるもんなんじゃないかなあ?そうでもないのかなあ?本気で何の裏表もない人間ってのがいるのか?それならそれでうらやましいような気もするけど……。

 

私もちょっとわかるのだ。3人いる感じ。

言葉は違うけど、たぶんだいたい同じだと思う。

何もかもどーでもよくなる捨てたい自分(壊すとか攻撃とかには向きにくいんだけど、たぶん破壊の自分にあたる面)。

ひとつひとつのすべてがすばらしいから、人生で楽しみを探して積み重ねようよと言ってくる健気で前向きな自分(まあまあまあの自分)。

その両方の上か真ん中に立って、両方の言い分に冷静に耳を傾けて話を受け入れる自分(俯瞰の自分)。冷静。先入観のない。ただ聞く。

 

もしかしたらもっといるのかもしれないけど、おおまかにこの3つの要素だと思う。

 

いつでも、落ち着いて深呼吸すれば、自分を俯瞰できる自分がいる、自分の話を聞いてやれる自分がいる(他人はいつでもどんな話でもここちよく思い通りに受け入れてくれるとは限らないから、まずは自分が知ってやらないとね)って、知ってるだけでも、だいぶ気が楽なものですよ。

すべてが虚しいとすべてに意欲的と、そのどちらかに溺れきる前に冷静になれるから。

 

捨てられる思い切りも、意欲も、どちらも、ある程度は生きるのに大切なものだと思うけど、

どちらかだけに肥大して溺れきってにっちもさっちもいかなくなることってのがある。

そうなる時にバランスをとってくれるのが俯瞰の自分なのだ。

 

 

天秤で言うところの支柱にあたる面だと思う。あるいは天秤を操作する実験者の脳でもある。私の体が天秤を操る実験者そのものなら、俯瞰ちゃんは落ち着いて実験ができるようコントロールしてくれるブレーンなのだ。   そしてその実験って、たぶん私の人生そのものだ。人生は遠大な実験。                                                 

 

人生における出来事は、分銅。

それが虚しさと意欲の皿の両方に乗ってくる。いろんな重さでいろんな形で乗ってくる。中身を見る。バランスをとる。仕分ける。おかしくなってきたらリセットする。バランスをとる。そういう仕事。

 

自覚してなかったから、意欲と虚しさのどちらかに傾きすぎてバランスを失うことが多かった。

俯瞰ちゃんを自覚してやっと付き合いを始めたのは、たぶん認知行動療法をやってからだと思う。

 

 

 

設楽さんの話を聞いて、自分自身のことをそんな風に思ったんだけど

他の人はどうなんでしょうね。あなたの中にもいますか?破壊と調和と俯瞰ちゃん。

 

 

人によってね、自分にそういう面があるって自覚してても

俯瞰の自分がコントロールできちゃう人と、

わかっててもついどっちかの傾きが暴れちゃって行動に起こす人間と、いろいろいると思う。

そのどちらがいいとか悪いとかそういう訳じゃないんだけど。

私は行動に出ちゃうな。虚しさが暴れだすと動かなくなるし、意欲が暴れだすと動き出す。でも、その動いてる最中にも俯瞰の自分が傍にいてペースメーカーをする。そこが変化した部分だと思う。

 

 

でもね。自分の中にもこういう面があるってわかってると、

よく知ってたはずの他人の知らない影の内面に突然出くわしても、驚きはするけど、なんとか異物として拒絶はしないで済むと思う。

あるいは、なんとかして助けようなんて思って引きずりこまれずに済むと思う。

ああそういうことか、この人にもそういう面があるのかって、見ながら互いに侵食しないように線が引けるから。

 

7年ぐらい前の私は何かにつけ「助けなきゃ」なんて勝手に思い上がる人間でした。その結果ズルズルのグダグダになる。今なら線を引いて冷静になれる。他人を救えるのはその本人しかいない。周りにできるのはせいぜい見守ったり、行き過ぎた思い込みをつついてやることぐらいだ。でもそれが大切なのだ。

 

 

そんなことを思いました。

 

 

 

天秤ありますか?動いてますか?いろんな自分がありますか?