人生休学中。さしみのブログ

ただいま休学中。自分のために書きます。

夢の一歩

実は夢がある。

夢っていうか、こうできたらいいのになあっていうビジョン。

私は今まで音楽をメインに勉強してきた。ガツガツ勉強してきた。そしたら疲れてしまったから、今はしばらく演奏も勉強も休んでいる。新しく受かったバイトも、音楽とは直接関係ない仕事だ(エンタメとか接客って点では似てるけどね)。

でもやっぱり音楽自体は好きなのだ。やってる人見るといいなって思うし、血がワクワク騒ぐ。それは私が単に昔から楽器鳴らしたりリズムとったり音ゲーしたり踊りのフリ覚えたりするのがたまたま好きで得意だった、ってことがあるし、それに付随して、音楽をやってきた上で楽しい思い出がたくさん今まで積み重なってきたからだ、ってこともある(苦々しい思い出も中にはある。割合にするとなんとなくだけど8:2ぐらいかな)。

 

こうできたらいいなぁ、って思うことが昔からあった。

一部の人に話したこともあった気がするが、多くの人に向けて話したことはないと思う。

 

私は骨の髄から音楽を愛する人間かっていうとちょっと違うのだ。音楽があれば飯さえいらない、みたいな美を追求するアレではない。

なぜかっていうと。

人見知りで内気な(、それでいてプライドも高い)、私は、音楽やってることでできた友達が多かった。音楽が得意なことを生かして、コミュニティに入っていけた。それがなかったらたぶん心もとなかっただろうと思う。

私にとって音楽とは、人と繋がるためのツールだったのだ。

 

それがもっと肥大して、人に認めてもらうためのツールになってきてしまった、私自身の楽しさはどこに置いてきてしまったのだろう、と気付いたから、休むことにしたのだ。こう書くとカッコよく聞こえるけど、つまりは挫折なのだ。プライド高いからもってまわった言い方するのだ。という自虐はさておいて……

 

音楽なしの無防備な私でどこまで社会に怖がらず関わっていけるのか、今の私の挑戦でもある。

 

と同時に、音楽は私の交遊関係を本当に広げてくれた。もっと多くの人と関わりたい。今まで積んできたもので捨ててきたことも多くあるけど、捨てても尚、持ってるものの中で人と分かち合えるものが私の中にはあるだろう。そういう気持ちもある。

 

夢ってなんなのか。

 

オーダーメイドの出前演奏をやってみたいんだ。

 

独居だったりヒッキーだったりで、音楽は好きだしやりたい気持ちもくすぶってるんだけど、外に出るきっかけと勇気が、あるいは人によっては体力がない。

そういう人に、家に居ながらにして、人と音楽するきっかけを作りたい。そのために、人と関わるツールとしての音楽の魅力をよく知っている演奏家を自宅に派遣するのだ。施設や教室までわざわざ足を運ばなくてもいい。自宅できっかけが踏み出せる。

そして家の中で演奏を提供したり、クライアントと一緒にセッションしたりする。

それで満足な人はそれでいいし、要望によってはライブや演奏会に同行したり、もっと他の人や外部団体とも関わって演奏活動を広げていったりするためのサポートもする。

そうして、人と共にやる音楽の楽しさが広がっていけばいいと思う。年取っててもコミュ力低くても話がヘタクソでも、好きなことがあるとあんがいなんとかなっちゃうものなのだ、ってことが伝わればいいなって。

 

音楽療法に近いのかもしれないけど、音楽療法という言葉を使うと少し距離を感じる気がする。

障害や病気の有無、年齢や性別や職業に関わらず、出前演奏を求める人すべてを対象としたいから。

子どもや老人や障害者には限らない。青少年も中高年も、一般的には健常者と呼ばれる人でも含めるのだ。特に青少年で、バンドやりたいけど人がいないギター男子とか、いいんじゃねえかな~とか思うのだが。笑

 

要望に合わせて人に教えたりセッションしたりすることのできる能力を持った音楽家も、きっとこの国には山ほどいるはずだ。望み通りの活躍の場がなくてくすぶってる人たちもきっと(それは私なのだ)。

 

だから、そういう需要と供給を一致できたらいいなあって思っている。

 

前は、いろんな場所に出前演奏する側になれたらいいと思ってたけど、今はそういうの取りまとめる側になってみたいなと思っている。

 

 

そんな夢が前からある。

 

前に、音楽療法に力を入れたデイサービスへ1週間インターンに行った時は、採用担当の人にそんなことをポロリとこぼした気がする。そこには就職しなかったけれど。

 

 

同じ気持ちを持つ人は絶対いるはずなので、形にできたらいいと思う。一人で無理矢理やろうとは思ってない、そこが進歩したと思う。だって一人じゃできないもん。

 

そう思うのでした。

 

知識だけ詰め込んで、周り見ずにひたすら練習室にこもって、それでもこれが何になるのかわからない、そんな虚しさに終止符を打ちたいと、思っている。