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人生休学中。さしみのブログ

ただいま休学中。自分のために書きます。

sense

センスがいい、とか

センスがわるい、とかって

つまり、

自分が何が好きでどうありたくどうふるまうのかを

わかっているのか、わかっていないのか

の状態じゃないか

と思った。

 

だから……

センスが良いと思う人の表面だけ真似ても

自分にはなぜだか合わなくぎこちなくなったり。

そりゃそうだ。センスに正解なんて無く、

「あの人なりのセンス」「私なりのセンス」が

あるだけだもの。

だから、真似するとしたら

その人の内面とか心のあり方とかモノの選び方とか金の遣い方とか

そういう点じゃないかなーと思うのだ。

人によってはそれすら誰にも見習わなかったりもするしね。

 

 

センスに正解はない。

自分なりのセンス の答えはどこにも載ってない。

雑誌にもニュースにも百科事典にも。

ただ、それらを"参考"にして

自分のあり方、ありたい方向を研ぎ澄ますヒントにすることは十分にできるのだ。

んで人によっては"参考"すらいらない、一切の外的要因もほしくない、って人ももしかするといるんだろう。

 

"センスを磨く"とは、

"今の自分の好き嫌い、大事大事じゃない"を日々大切にマイペースにゆっくり研ぎ澄ませて磨いていくってこと、

"自分の好き嫌い、大事大事じゃない"は日々時によって移ろうこともあるもの、ってことをわかっていて、(あるいは全く変わらない大切にしたいことがあるって自覚していて、)

自分の自然な変化を止めずにいること、受け入れていること、また

新しい変化を楽しめること。

好まない変化から自分を守れること。

そのための日々の出来事や人との関わりや新しい情報を大切にできること。

 

 

じゃないかなぁ。

って思いました。

 

"多くの人から""あの人から"「センスが良い!」"と評価されるかどうか?"

とは、別の話でね。

自分で自分に「なんかセンスが悪い気がする」って感じる時は、疲れたりホコリかぶってたりよくわかんなくなってたりなんかして、自分のセンサー(←そっかセンサーってセンスの派生語なんだな、今気付いた)がにぶってる状態じゃないかなーと思うのでした。

 

 

そしてどんなセンスをしていようと

周りの人は勝手にあれやこれや言ってくるものなのだ。

流行り廃り人気不人気さえも正解ではないのだ。

それはほっといていいのだ。

ほっといて自分のセンスを磨けば良い。

そしたら、精度が増せば増すほど、自分のセンスと触れ合える人に自然と近づけるから。

それがどんな人か、世間(という名の親の目)に評価されるかされないのか、多いのか少ないのか、男なのか女なのかどっちでもないのか、人間か動物か植物なのか、何語を話すのか話さないのか、はまったくの不問でね。

 

今自分の周りにいる人の状態さえも、自分の状態を視認させてくれるセンサーだったりもするのだ(もちろんそうじゃなくバグみたいにヘンな人が紛れ込んだりもするが、それも放置でいいのだ)。

 

そんなことを思ったのだ。

 

そんなこと言ってる私のセンスはどうなのか?

絶賛磨き中に決まってるじゃないか!!!!!!!!!!

人生かけて磨いていくんじゃないかなって思ってるよ。

正解が無いってことはゴールも無いんだからさ。

 

果てがなくて途方に暮れる?

でも、果てが見えてたらやる気もなくなる、っとも思う。だって走ったり競ったりする必要なんか微塵もないのだから。

 

 

ゆっくり生きるんだぜ。

 

 

今日はこれからおでかけだぜ。