さしみの「心と体の仲直り」日記

体と心の探検にハマッてるさしみの日記です。

人生の"自分探し期"

カッコよく言わせていただくと

人生における「"破壊"と"構築"(SWANドイツ編2巻より)」の時期を迎えると、

自分が

思っていたよりもダメダメで

そして

思っていたよりもずっとステキだった

ってことに気付く

ことがある。

 

 

もっと言うならば、

自分が「ここは出来てる!!!」って思ってたところが全然からっきしで、

自分で「ここはダメだ!!!!」って思ってた部分が実はかなりステキだった

ってことに、気付くことがある。

 

たとえば……

金銭感覚

生活リズム

体調

精神の均衡

ストレスの発散

自分を振り返ること

人と接すること

肩の力を抜くこと

食べるもの

買うもの

触れるもの

それらの質

やりたいのか

実はやりたくないのか

考えてるか

考えてないか

知ってるか

知らないか

自分にとって多いのか

少ないのか

快なのか

不快なのか

そのセンサーとか

 

 

思ってたよりステキだったのは

たとえば

友達がいっぱいいた

かわいいと思われていた

物質的に充分過ぎるほど恵まれてた

思ったより冒険してた

そんなに冒険しなくてもよかった

もっと堂々と本音を話してよかった

もっとウソついて汚くウマくやってもよかった

実績なら充分過ぎるほどにあった

もういらないってほどにモノがあった

寂しがる必要もないほど愛されてた

そのマヌケな面が、やわらかい肉が、実は愛らしかったのだ

笑われてたのはバカにされてたのではなかったのだ

怒られたのも泣かれたのも私が悪かったのではなく相手が勝手にそう反応しただけだったのだ

あれもこれも、誰も私も、別に悪くなんてなかったのだ

 

……とか……

 

 

 

 

 

自分の知らない面を知ると

他人の知らなかった面も見えてきたり

他人の知ってたと思ってた面の見え方も変わってきたりする。

 

 

あの人はそんなにかわいそうじゃなかった

あの人はほっといてよかった

あの人はそんなに強くなかった

そんなにご立派じゃなかった

そんなに幸せじゃなかった

実は幸せだった

あれで充分だった

あれは正解でも不正解でもなんでもなかった

あれはあれでそうは見えなかったけど楽しんでいるようなのだった

 

とかね。

 

 

 

大なり小なり破壊と構築を日々繰り返しながら私は生きてるのだろうけど、

 

今まで私が生きてきた中で

今のようなわかりやすい"自分探し期"のまとまった時期に突入したのは

実は今回で2回目なのだ。

 

 

1度目は

最初に入った大学を辞めた時

ものすごくわかりやすく親に反発してエネルギーを発散してた時

 

あの時は

次なる目標を自分なりに見つけたことで

霧の中を突破したけど

 

霧の中にいたのは実質1年半~長くても2年いかないぐらいかな?

 

 

今回は

今回の霧は、実はちょっと長い

いや、今回の霧だけが長いのではなく、

今までの人生で見えてなかった

自分の中にうっ積してた霧が一気に噴き出して漂ってるだけなのかもしれないけど、

 

今のモヤモヤ感は

2年と半ぐらいかな~……

 

1回目のモヤモヤ期と明らかに違う

誰のせいにするでもない(誰のせいにもできない)モヤモヤ

あまりにも自由だった(と気付いた)人生の舵を

すべて自分の意志で

1から

これからどう歩いて行こうかという

途方にくれまくったモヤモヤ

 

誰のせいにもできない(なぜなら誰のせいでもないからなのだ)

"やらなければいけないこと"など何もない(まあトイレはしたいし食事もしたいし住居も睡眠も衣服も人間関係も趣味関係のモノもほしいけどね)

まして"使命""天命"もない

 

ぜんぶ自分で決めていい

 

今まで

誰かや何かを指針にして従うか

それに真っ向から反発するか

それぐらいしか手段を知らなかった人間が

 

途方もなく人生に対して丸投げになる。

 

 

さあこのモヤモヤにはどんなオチがついてくれるのか!

 

破壊か

新しい創造か

それとも

今まで切り捨てたものを自分の中に見直して取り込むことなのか

 

 

見ものですね笑

 

 

もしかしたら、もう

目に見えたドッカンなオチがたまたまやってきてないだけで、

実は少しずつ少しずつトンネルの先の細い光へ進むようにオチに向かってて(あるいはオチがついていて)

そのことに私自身が気付いてないだけなのかもしれないけど

 

それならそれでおもしろいからいいや笑